縄文の女神の登場2

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縄文人は、なんとみんな、所謂サイキックです。まあ、今の私達から見たら、というだけで、本当は人間に備わっている普通の能力で、縄文人がそれを失っていないだけなのだと思います。

彼らは言葉を発さなくても意思伝達できます。(人間だけではなく、動物や植物、鉱物とも意思疎通できます)
でも、言葉も文字も持っています。
言葉は祭祀や祈りの時に最も有効に使われ、神との交流に欠かせません。
音と踊りと大麻がいつも共にあり、みんなすごく陽気で楽しげです。

古代人をイメージした時、喜怒哀楽のあまりない、むっつりとしたイメージがあるかもしれませんが(私だけ?) 喜怒哀楽が激しく、すごく明るく、そしてセクシーです←ここ、すごく大事!

私は一部の人達から、スピリチャル官能小説をぜひ書いて欲しい、と熱烈にリクエストされていますが、縄文の女神からのビジョンを見ると、縄文人のセクシャリティは、すごく官能的でありながら、神との交流にも使われるくらいの神々しさも感じられ、大らかで至福に満ちています。
まさにスピリチャルな官能ですね。

ビジョンを見ていて、縄文人と現代人の一番の違いは、松果体の輝きにあるのでは、と思いいたりました。現代人のそれとはまったく大きさも輝きも違います。

現代人にとって、これは致命的ですね。

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